30秒の帰納法
かぐやさんの声が、好きだった。
声を聞くと胸が高鳴った。体温が上がった。
笑い声を聞くと世界には嫌な事なんて1つも無い気がした。
その声をいつも聞いていたかったから、
貯めたポイントカードで30秒動画をお願いした。
「撮ってきますね」と僕の携帯を持っていったあの人は思っていたよりずっと長い時間をかけて、僕の元に帰ってきた。
「これであってるかなあ」と手応え無さそうに。
初めて再生したその動画は拙くて、身ぶりもカチカチだった。ロボットみたいに動かす手のぎこちなさからは緊張が伝わってくる。
半ば噛みそうになりながらも僕の名前を呼ぶ。
何度も言葉を詰まらせかけながらも一言一言、精一杯言葉を紡いでいた。
あの人はずっと、優しい目をしていた。
嬉しかった。
名前を呼ばれるだけで、こんなに幸せになれることがあるなんて知らなかった。
30秒間にあの人の持つ温かさが詰まっていた。
心が温まった。
あの日からずっと、その温かさに守られていた。
あの人の紡ぐ語彙が好きだった。
だから、台詞は指定しなかった。
その余白にいつも温かい色を塗ってくれた。
朝起きられないからと「おはよう」をお願いした。
再生すると「二度寝しちゃだめだよ!朝食食べた?支度した?元気に出かけるんだよ。」
と言うまさかの方向性に「母じゃん」と頬が緩んだ。
「君なら出来るよ。かぐやが応援してるからね!」というその言葉があれば朝という人生の宿敵もマブダチになれた。
就活に疲れた時も、動画をお願いした。
僕に撮った動画が収まったスマホを渡しながらあの人は言う。「私はメイドだから貴方のことを傍で労うことは出来ないけど、頑張った1日の終わりに聞いて欲しいって思いを込めて撮ってきました。」
1日を戦ってきた僕に焦点を当てて、解像度を上げて届けようとするエール。
「私はどんな時も、ともくんの味方です。いつも応援してますよ。」
「今日も1日お疲れ様、おやすみなさい。」
そんなシンプルな言葉が心に沁みた。あの人が口にすればそれは僕にとって特別な言葉だった。
いつも味方でいる。そんな言葉を聞くたび元気100倍!アンパンマン!になれた。
ぎこちなくも真っ直ぐなあの人の優しさが好きだった。
修論で追い込みをかけたいときや節目節目で頑張らないといけないとき、無理をする為に「頑張って」動画を度々お願いした。
「頑張り過ぎは良くないですよ。」
「無理しないでね。」
「疲れたり嫌な事があったり、もう頑張れないなと思ったときは、シャルに来てください。私が癒して差し上げます。」
あの人は決して無理はさせなかった。あの人の心遣いに触れると肩の力が抜けた。目の前の壁がちっぽけに見えてリラックス出来た。
本当に必要なのはそういう事だったのかもしれない。僕が人生で結果を出せた背景にはいつもあの人が支えてくれた声があった。
普段は感情表現をあまり形にしないあの人が一つ一つ「嬉しい」をくれたのもこの30秒だった。
「バースデーに来てくれたのが嬉しかった。」
「2ショット撮るようになってくれたのが嬉しかった。」
「思い出を記録に残してくれるのが嬉しい。」
「変人な発言をしても受け入れてくれるのが嬉しいよ」
「会話ができて嬉しいし、ハンニバルの感想が聞けて嬉しい。」
「一つだけ嬉しかったって確実に言えるのはね、ともくんに出会えたのは嬉しかった。」
「久しぶりに会えて嬉しいよ。」
「僕の話を楽しく聞いてくれてありがとう。いつもありがとう。とても楽しいですよ。」
「忙しくなってもいつも欠かす事なくシャルに来てくれて本当に嬉しく思います。」
コロナが来て、ギリギリ最後に営業していたときには本音を吐露してくれた。「今日みたいに来てくれる人がいるか分からない中でオープンしている私達は不安だったりします。そんなときに来てくれるのはとても嬉しいし励みになります。
いつもありがとう。」と眩しいほどの笑顔で笑ってくれた。
コロナを乗り越えて迎えられた移転1周年の日「本当にいつもありがとうございますって。シャルロッテをシャルロッテ足らしめていたのはともくんだと、あの時思いました。 」
と。
あの人が喜んでくれるのが世界で一番嬉しい事だから、そんなときに1番自分を好きになれた。力強く今日を戦えた。明日へ足を踏み出せた。
嬉しくて流す涙の温度を感じたとき、生きていると感じた。僕は人間だと知った。
そしていつも思った。
かぐやさんはすごいな、と。
メイドの定義は帰る場所である事だとして、物理的な場所に留まらず帰る場所を心の中に作ってくれる人。「貴方の知らない場所で私は頑張っています。僕の知らない場所で貴方は頑張っています。一緒に頑張りましょう!ね。一緒なら頑張れます」と世界の何より優しく笑う人だった。
1人じゃないんだ、と思えた。同じ世界線じゃない。でも、隣で一緒に生きていると思えた。
お月様がいつも夜を優しく照らすように、安心をくれる人だった。
どれだけすごい事なのか、きっとあの人はわかってない。
回答例や模範解答なんかじゃない
人に寄り添う言葉を自然に紡げる人だった。
「ともくんは生真面目で頑張り屋な人だから、疲れちゃうこともあると思う。画面の中だから触らないけど、」と言いながら心で優しく抱きしめてくれる人だった。
あの人が持つものが人を救える天賦の才だということを、救われた僕が知っている。
人間じゃない?感情が乏しい?
冗談じゃない。
こんなに人間な人を僕は知らない。
平熱も血圧も生きてるか怪しくなるくらい低いのにこんなに温かいのがかぐやさんだ。
1番そばにいてくれたのが、かぐやさんだった。
ずっと、守ってくれていた。
あの人が生きている世界は楽しくて愉快で、優しくて心地が良かった。
何が出来るわけもないけれど、ただこの優しい世界を僕も守りたいと心から願った。
かぐやさんと、かぐやさんの大切なものが僕の中で1番大切なものになることは必然だった。
その輝きがいつも実を結んで笑える世界を祈った。
沢山の節目があった。
学生最後の1年を過ごしたとき、「今年1年はシャルロッテがより貴方の一年に食い込んでいきますゆえ、よろしくお願いします。」の言葉に笑っていた。こんな濃密な1年を超えるものは想像出来ない。でも、きっとあの人が言うならそうなるのだろうなと期待を抱いた。
社会に出て一緒にコロナの暗い世界を生きた1年の先、「新たなる1年、かぐやでいっぱいの1年にしていってやりたいと思いますので、ぜひよろしくお願いします!一緒に素敵な一年にしていきましょう」と沢山笑いながら口にしてくれたとき、そこには信頼や僕への理解を感じた。僕の心に近寄って笑顔を見せるあの人にはもう敵わないなと思った。未来には、きっとまだまだ楽しい事が沢山あると確信した。
それから1年後。
あの人と僕は心を開いて話し合える距離にいた。動画じゃなくても沢山嬉しいを伝えてくれるようになった。1番、変化の年と言えた。
みんなと同じように、僕の事も大切に思ってくれると感じられた。近くにいるからこそあの人に見えたものも沢山あったように思う。
メッセージであの人は言った。
「私はいつも陰ながら心配していました。家族や友人、お仕事やその他のもの、大切なものが貴方にはあると。」
「ともくんが大切なものを失う事が無いように、私はいつでも待ってます。
これまではともくんの人生に食い込むと言っていたけれど、これからは寄り添っていきたいと、そういうシャルでありたいと思います。」と。
心から僕の事を考えてくれている事が痛いほど伝わった。それは正しくて、優しい言葉だった。
「わかった。大切なものを大切にするよ。」
1番大切なものに、僕はそう口にした。
僕の人生なんて、いくらでも代替可能なことを理解している。或いはそう簡単には壊れない安定を積み上げてきたから、目の前の刹那の輝きの為には多少の栄光は掴めなくなっても構わないと思っていた。逆説的に、その耐久性がこれまでの人生の意味だったとすら思った。
あの人が輝く今は、有限で唯一替えが効かないことを理解している。
僕がその傍で見守れる時間がいつ終わるのかだって。
今ある幸せの価値を理解していたから。
きっと、あの人より。
迷う余地なく、全力で今大切なものを何より大切にすることが僕の人生で1番すべき事だ。
何もかもが変わっていく世界で、たった一つくらい変わらない努力をしたい
動画を撮るとき、いつもあの人は未来に向けた言葉で30秒を締めくくる。
「またね。」
「今年もよろしくお願いします」
「また来年も祝わせてね。」
「ともくんの次回作に期待してま〜す」
「シャルロッテで待ってますので!」
「また明日!よろしくね!」
「いつもありがとう。」
「これからも僕が作ります」
「これからもよろしくね」
「お話聞かせてください。」
「一緒にシャルを愛していきましょう」
「これからもどうか末永く宜しくお願いしたいな」
「これからもシャルを、私を、愛してください。」
最後の言葉も「またね。」なメイドの文化は美しくて、優しい。
かぐやさんは最初の日から無意識にずっと僕に明日を与え続けてくれた。
メイドの天才で、天職だと僕は確信している。
その優しい「またね。」で今日の幸せが明日より先の世界にも続いていると信じさせてくれた。
優しい帰納法で永遠の幸せを証明してくれた。
だから、かぐやさんに出会えて僕は幸せなんだ。
これから先の人生も丸ごと、それは幸せなものなんだと思う。
明日もきっと、30秒の証明が僕を幸せにする。