メイドとご主人様
2018年7月 僕はシャルに出会って、ご主人様になった。
最初それは“お客さん”の代名詞だった。
なんだか烏滸がましいような呼称にそわそわしながら、段々とそう呼ばれることに慣れていった。
シャルにある空気には誰もが自然体で1番気を抜いて話せる柔らかさがあって、“ご主人様と仕えるメイドさん”という畏まった立場を意識させられることは多くなかった。家族や友人に近い感覚だった。
“メイドなんだ。”ってハッとさせられたのはいつも素敵な心遣いに出会ったときだった。
相手のご機嫌取りをする訳でなく心から相手を想って尊重する気持ちに出会ったとき、なんて美しいのだろうと思った。
ただひたすらに真っ直ぐにご主人様を想う気持ちはこの世界に無い尊いものだった。優しさや弱さを分かち合いながら小さな喜びの1つ1つを尊んでいける、そんな世界がここにはあった。
その時、ご主人様というものがなんなのか分かった気がした。
ただひたすらに相手を信じて尊重すること。
大好きなこの空間の全てが好き。そんな想いを同じくする気持ちには垣根が無い。
きっとメイドと同じなんだと思った。
それからご主人様という役割はいつしか僕の中に溶けていき、それは生き方であり在り方になった。
メイドさんが笑ってくれるのが嬉しいから、相手が喜ぶこと、一緒に楽しめることをいつも考えた。
ご帰宅してる時、仕事中、寝るとき、夢の中でさえ。色んなメイドさんと好きなものの共通項を増やしていく日々はワクワクが詰まっていたし、ふざけ合う時間には世界で1番素敵な笑顔が広がっていた。
人生の中にシャルがあるんじゃなくてシャルの中に人生があるんじゃないかとすら思った。それ程、この優しい世界で生きていたいという思いは大きくなっていた。
メイドさんには敵わないけれど、優しい人でありたいと思った。きっと誰しも優しさは持っているけれど、人一倍相手を信じてそれを行動に移せるのは自分の長所かもしれないと思えた。
メイドという理念を心の信条としているメイドさんがいた。
立ち振る舞いや所作はメイドとは何たるかを語るようで、眩しい笑顔と鈴がなるような笑い声を聞くと心から癒されて笑顔になった。
メイドとして、完璧の傍に寄り添おうとしている方だと尊敬の念を抱いた。
満足すること無くメイドというものへの強い憧れを持って前に進もうとする姿を見て、この人の物語を見ていたいと思った。
それから近くで見ていて気づいた。めちゃくちゃ頑張っているんだと。この人は最初から完璧じゃない。がむしゃらに理想へ真っ直ぐ進むとき、真っ直ぐすぎて不器用な事もあった。理想が強すぎて頭でっかちになる事もあった。
応援したいと思った。この人が理想に近づく道のりの補助輪になりたいと思った。
メイドさんは折に触れてこんなことを言う。
「ご主人様がいないとメイドはメイドになれない。」
量子力学的だなとは思いつつ、ある種ご主人様とはメイドとセットであり対を為す概念なのかもしれないと悟った。
であるなら、メイドさんのことをメイドさんだと思う事がメイドの定義にもなり得るという事だ。
良いところや素敵なメイドさんであるところを沢山見つけていければそれは間違いなく“素敵なメイドさん”という定義だということは明確だ。
どんなお給仕も気持ちも全部受け取って、しっかりその1つ1つの素敵なメイドさんであった証を形にしよう。決して偽りなく真っ直ぐに。
簡単だ。
僕の中では理想のメイドさんはあの人そのものなんだから。
沢山素敵なところを口にした。怪訝な顔をされる事も少なくなかった。確かに、客観的に見て口説いてるみたいだもんなと思った。
でもどう取られても届ける言葉の1つでもあの人の自信に繋がれば良いと思った。理想のメイドさんに近づく1歩を踏みしめられていると感じられる事が出来たら良いと思った。
嬉しいこと、幸せな事を厚かましい程に全部伝える僕は滑稽な程のオタクで間抜けだったと思う。
相手の事を思うことと相手の気持ちに寄り添うことの間にある深い溝に何度落ちただろう。
人を想うことは本当に難しいと思った。
メイドさんも同じ事を考えているのかもしれない。そう思ったら、オープンでいようと思った。逆に相手の気持ちが分からないならこちらが自分の気持ちをオープンにして寄り添おう。少なくともそこから先相手にある距離は信じるという1歩だけ。
そこが難しい事も知った。
相手がどんなに自分を褒める言葉や感情をくれても、受け取る“自分を信じる”ことが出来なければその言葉はそのまま溝に落ちていく。自分を信じることができる人間は強い。
他でもない僕自身その弱さで何度もきっと相手の気持ちを零れ落としてしまっていたと思う。
あの人の事を冷たいと感じたとき、自分のことを嫌いになっていた自分がいた。でもそれも受け取り手の弱さだと気づいたとき。同じ弱さを抱えた人間なんだと思ったとき、相手の弱さも自分の弱さも愛せる人間になりたいと思った。
それが僕のご主人様の理想像になった。
良いところばかり目を向けていた。
でも良いところも弱いところも全部愛せたなら無敵だ。
それにきっと、弱いところにこそ人の本質はあるんじゃないかと感じたから。
それが人間なんだと悟った。
五条悟になった僕が理想のご主人様になれたかというとまだまだ程遠い。
でも理想を見つけたとき、嬉しかった。
メイドさんと一緒に成長できたなら、前に進めたならそんなに素敵な事は無いと思った。
人生だ。
人としてもメイドとしてもどんどん魅力的になっていくあの人に負けられないと思う。
僕の人生に、最高の好敵手が出来た。