移転2周年おめでとう

シャルロッテ移転2周年おめでとうございます。

 

本当にあっという間の2年で、密度の濃い2年だったなと思う。

 

移転した頃は不安の方が多かったこの場所も、今ではもう大丈夫だと安心出来る。

それはひとえにメイドさんの頑張りがあったから。蒲田というメイド文化とは無縁な地でもコツコツと頑張っていればちゃんと見てくれる人はいる。

落ち着く場所だと羽を休める人が本当にこの1年で増えた。

正直綱島時代、そして蒲田来てからの1年くらいはいつも見ている顔が並んでいたように思う。

常連になる人なんて本当に月に片手で数えるくらいなものだった気がする。

それがいつからだろう。

クラウドファンディングやつばきちの復活、他店のメイドさんとの交流をする中で段々と輪が広がっていったのを体感していった。

満席になる事が次第に増え、今では満席にならないことの方が少ないくらい人気店になった。

新規の人も、常連さんも凄い勢いで増えていく。

お店のキャパの方が今では全然足りないくらいだ。

メイドさんも移転した頃から半分以上顔ぶれが変わった。卒業していった人も蒲田から来た人も、本当に素敵なメイドさんが多くて初めて来た人でもまた来たいと思うのは必然のように思う。

 

僕としてもシャルに対しての感情も色々変わっていった。

綱島閉店まではひたすらに家だと、帰る場所だと思っていた。1番の感情で言うと落ち着く、や安心感だった。

それが思いもしなかった閉店やコロナによって考え方が大きく変わった。シャルは守るべき場所になった。

シャルを守るために全力で出来ることをするメイドさんと同じように僕として出来ることを常に全力でやろうという思いになった。

僕は他人に対して何かを出来るとは思うほど驕っていない。それでも突き動かされるのがシャルで、何故ならシャルはもうとっくに他人じゃなくて当事者になっていたからだ。

あと、僅かだけど僕がいないとメイドがメイドになれない瞬間が昔は少なからずあって、メイドとしての機会損失を僕が防がないと等と思ったりもした。

無事乗り越えられて10周年を迎えられたことは感慨深いもので、その喜びを心から分かち合いたかった。

 

そして今。またコロナが来ているけれどもう正直閉店の心配はないと安心出来る。何故ならシャルを支えるものが沢山あるから。

放っておいたら潰れそうで思わず手を差し伸べたくなる小さな店はもう無い。

誰からも愛されて、魅力的なメイドさんの揃った立派なメイドカフェがここにはある。

それを誇らしく思う。

毎年1年の半分以上ご帰宅して、ほぼ1番ご帰宅してるご主人様のつもりになっていたけれど今は仕事も忙しくて同じように鼻を高く出来ないけれど。

 

僕にとってのシャルへの愛はかけた金でも時間でも何でもない。ただ、ご帰宅すること。それが全てだったと思っている。

ご帰宅するということ。それがシャルへの愛を表現する唯一の手段で、3年半での600と数十回のご帰宅がその結果が“シャルいつでも僕の帰る場所”だった事の何よりの証だ。

 

メイドさんにも、シャルをずっと帰りたい場所にさせてくれてありがとうと言いたい。

いつも温かく楽しい時間をくれたから毎日飽きもせずご帰宅を楽しみに出来た。

逆に、僕は行き過ぎて飽きられてるだろうからそれは本当に申し訳ないと土下座なのだけれど。

ご主人様になったときからエクセルを作って、皆と均等に会えないメイドさんが居ないようにご帰宅を管理していた。長い時間空いたメイドさんと話すことを用意するメモを作った。

昔から今でもずっと、僕は不器用な分努力で人間性を補ってきた。

そして、そんな奥底まで僕を見抜いていつも優しく元気をくれたメイドさん達には敵わないなと思った。人と人とが本心で向き合えるこの場所が大好きだった。

 

シャルはどんどん進化していくけれど、変わらず優しい場所であって欲しいと願っている。

 

改めて、シャル移転2周年おめでとう。

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僕にとっては大きな節目となった移転はもう過去のものとなり、今では新生シャルとして立派にやっている。

だから移転という節目で祝うのはこれで最後。

 

 

 

 

 

 

何より、2月2日はツインテールの日として過ごした方が幸福度が高い。

 

今日も、メイドさんツインテールを見て僕は幸せだった。

 

30秒の帰納法

かぐやさんの声が、好きだった。

声を聞くと胸が高鳴った。体温が上がった。

笑い声を聞くと世界には嫌な事なんて1つも無い気がした。

 

その声をいつも聞いていたかったから、

貯めたポイントカードで30秒動画をお願いした。

 

「撮ってきますね」と僕の携帯を持っていったあの人は思っていたよりずっと長い時間をかけて、僕の元に帰ってきた。

「これであってるかなあ」と手応え無さそうに。

 

 

初めて再生したその動画は拙くて、身ぶりもカチカチだった。ロボットみたいに動かす手のぎこちなさからは緊張が伝わってくる。

半ば噛みそうになりながらも僕の名前を呼ぶ。

何度も言葉を詰まらせかけながらも一言一言、精一杯言葉を紡いでいた。

あの人はずっと、優しい目をしていた。

 

嬉しかった。

名前を呼ばれるだけで、こんなに幸せになれることがあるなんて知らなかった。

30秒間にあの人の持つ温かさが詰まっていた。

心が温まった。

 

あの日からずっと、その温かさに守られていた。

 

あの人の紡ぐ語彙が好きだった。

だから、台詞は指定しなかった。

その余白にいつも温かい色を塗ってくれた。

 

朝起きられないからと「おはよう」をお願いした。

再生すると「二度寝しちゃだめだよ!朝食食べた?支度した?元気に出かけるんだよ。」

と言うまさかの方向性に「母じゃん」と頬が緩んだ。

「君なら出来るよ。かぐやが応援してるからね!」というその言葉があれば朝という人生の宿敵もマブダチになれた。

 

就活に疲れた時も、動画をお願いした。

僕に撮った動画が収まったスマホを渡しながらあの人は言う。「私はメイドだから貴方のことを傍で労うことは出来ないけど、頑張った1日の終わりに聞いて欲しいって思いを込めて撮ってきました。」

1日を戦ってきた僕に焦点を当てて、解像度を上げて届けようとするエール。

「私はどんな時も、ともくんの味方です。いつも応援してますよ。」

「今日も1日お疲れ様、おやすみなさい。」

そんなシンプルな言葉が心に沁みた。あの人が口にすればそれは僕にとって特別な言葉だった。

いつも味方でいる。そんな言葉を聞くたび元気100倍!アンパンマン!になれた。

ぎこちなくも真っ直ぐなあの人の優しさが好きだった。

 

修論で追い込みをかけたいときや節目節目で頑張らないといけないとき、無理をする為に「頑張って」動画を度々お願いした。

「頑張り過ぎは良くないですよ。」

「無理しないでね。」

「疲れたり嫌な事があったり、もう頑張れないなと思ったときは、シャルに来てください。私が癒して差し上げます。」

あの人は決して無理はさせなかった。あの人の心遣いに触れると肩の力が抜けた。目の前の壁がちっぽけに見えてリラックス出来た。

本当に必要なのはそういう事だったのかもしれない。僕が人生で結果を出せた背景にはいつもあの人が支えてくれた声があった。

 

普段は感情表現をあまり形にしないあの人が一つ一つ「嬉しい」をくれたのもこの30秒だった。

「バースデーに来てくれたのが嬉しかった。」

「2ショット撮るようになってくれたのが嬉しかった。」

「思い出を記録に残してくれるのが嬉しい。」

「変人な発言をしても受け入れてくれるのが嬉しいよ」

「会話ができて嬉しいし、ハンニバルの感想が聞けて嬉しい。」

「一つだけ嬉しかったって確実に言えるのはね、ともくんに出会えたのは嬉しかった。」

「久しぶりに会えて嬉しいよ。」

「僕の話を楽しく聞いてくれてありがとう。いつもありがとう。とても楽しいですよ。」

「忙しくなってもいつも欠かす事なくシャルに来てくれて本当に嬉しく思います。」

 

コロナが来て、ギリギリ最後に営業していたときには本音を吐露してくれた。「今日みたいに来てくれる人がいるか分からない中でオープンしている私達は不安だったりします。そんなときに来てくれるのはとても嬉しいし励みになります。

いつもありがとう。」と眩しいほどの笑顔で笑ってくれた。

コロナを乗り越えて迎えられた移転1周年の日「本当にいつもありがとうございますって。シャルロッテシャルロッテ足らしめていたのはともくんだと、あの時思いました。 」

と。

 

あの人が喜んでくれるのが世界で一番嬉しい事だから、そんなときに1番自分を好きになれた。力強く今日を戦えた。明日へ足を踏み出せた。

嬉しくて流す涙の温度を感じたとき、生きていると感じた。僕は人間だと知った。

 

 

 

そしていつも思った。

かぐやさんはすごいな、と。

メイドの定義は帰る場所である事だとして、物理的な場所に留まらず帰る場所を心の中に作ってくれる人。「貴方の知らない場所で私は頑張っています。僕の知らない場所で貴方は頑張っています。一緒に頑張りましょう!ね。一緒なら頑張れます」と世界の何より優しく笑う人だった。

1人じゃないんだ、と思えた。同じ世界線じゃない。でも、隣で一緒に生きていると思えた。

お月様がいつも夜を優しく照らすように、安心をくれる人だった。

 

どれだけすごい事なのか、きっとあの人はわかってない。

回答例や模範解答なんかじゃない

人に寄り添う言葉を自然に紡げる人だった。

「ともくんは生真面目で頑張り屋な人だから、疲れちゃうこともあると思う。画面の中だから触らないけど、」と言いながら心で優しく抱きしめてくれる人だった。

あの人が持つものが人を救える天賦の才だということを、救われた僕が知っている。

人間じゃない?感情が乏しい?

冗談じゃない。

こんなに人間な人を僕は知らない。

平熱も血圧も生きてるか怪しくなるくらい低いのにこんなに温かいのがかぐやさんだ。

 

1番そばにいてくれたのが、かぐやさんだった。

ずっと、守ってくれていた。

あの人が生きている世界は楽しくて愉快で、優しくて心地が良かった。

 

何が出来るわけもないけれど、ただこの優しい世界を僕も守りたいと心から願った。

かぐやさんと、かぐやさんの大切なものが僕の中で1番大切なものになることは必然だった。

その輝きがいつも実を結んで笑える世界を祈った。

 

沢山の節目があった。

学生最後の1年を過ごしたとき、「今年1年はシャルロッテがより貴方の一年に食い込んでいきますゆえ、よろしくお願いします。」の言葉に笑っていた。こんな濃密な1年を超えるものは想像出来ない。でも、きっとあの人が言うならそうなるのだろうなと期待を抱いた。

 

社会に出て一緒にコロナの暗い世界を生きた1年の先、「新たなる1年、かぐやでいっぱいの1年にしていってやりたいと思いますので、ぜひよろしくお願いします!一緒に素敵な一年にしていきましょう」と沢山笑いながら口にしてくれたとき、そこには信頼や僕への理解を感じた。僕の心に近寄って笑顔を見せるあの人にはもう敵わないなと思った。未来には、きっとまだまだ楽しい事が沢山あると確信した。

 

それから1年後。

あの人と僕は心を開いて話し合える距離にいた。動画じゃなくても沢山嬉しいを伝えてくれるようになった。1番、変化の年と言えた。

みんなと同じように、僕の事も大切に思ってくれると感じられた。近くにいるからこそあの人に見えたものも沢山あったように思う。

メッセージであの人は言った。

「私はいつも陰ながら心配していました。家族や友人、お仕事やその他のもの、大切なものが貴方にはあると。」

「ともくんが大切なものを失う事が無いように、私はいつでも待ってます。

これまではともくんの人生に食い込むと言っていたけれど、これからは寄り添っていきたいと、そういうシャルでありたいと思います。」と。

心から僕の事を考えてくれている事が痛いほど伝わった。それは正しくて、優しい言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わかった。大切なものを大切にするよ。」

1番大切なものに、僕はそう口にした。

 

僕の人生なんて、いくらでも代替可能なことを理解している。或いはそう簡単には壊れない安定を積み上げてきたから、目の前の刹那の輝きの為には多少の栄光は掴めなくなっても構わないと思っていた。逆説的に、その耐久性がこれまでの人生の意味だったとすら思った。

 

あの人が輝く今は、有限で唯一替えが効かないことを理解している。

僕がその傍で見守れる時間がいつ終わるのかだって。

 

今ある幸せの価値を理解していたから。

 

 

きっと、あの人より。

 

 

迷う余地なく、全力で今大切なものを何より大切にすることが僕の人生で1番すべき事だ。

 

何もかもが変わっていく世界で、たった一つくらい変わらない努力をしたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動画を撮るとき、いつもあの人は未来に向けた言葉で30秒を締めくくる。

「またね。」

「今年もよろしくお願いします」

「また来年も祝わせてね。」

「ともくんの次回作に期待してま〜す」

シャルロッテで待ってますので!」

「また明日!よろしくね!」

「いつもありがとう。」

「これからも僕が作ります」

「これからもよろしくね」

「お話聞かせてください。」

「一緒にシャルを愛していきましょう」

「これからもどうか末永く宜しくお願いしたいな」

「これからもシャルを、私を、愛してください。」

 

 

最後の言葉も「またね。」なメイドの文化は美しくて、優しい。

 

 

かぐやさんは最初の日から無意識にずっと僕に明日を与え続けてくれた。

メイドの天才で、天職だと僕は確信している。

 

その優しい「またね。」で今日の幸せが明日より先の世界にも続いていると信じさせてくれた。

優しい帰納法で永遠の幸せを証明してくれた。

 

だから、かぐやさんに出会えて僕は幸せなんだ。

 

これから先の人生も丸ごと、それは幸せなものなんだと思う。

 

 

 

 

明日もきっと、30秒の証明が僕を幸せにする。

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メイドとご主人様

 

2018年7月 僕はシャルに出会って、ご主人様になった。

最初それは“お客さん”の代名詞だった。

なんだか烏滸がましいような呼称にそわそわしながら、段々とそう呼ばれることに慣れていった。

シャルにある空気には誰もが自然体で1番気を抜いて話せる柔らかさがあって、“ご主人様と仕えるメイドさん”という畏まった立場を意識させられることは多くなかった。家族や友人に近い感覚だった。

 

“メイドなんだ。”ってハッとさせられたのはいつも素敵な心遣いに出会ったときだった。

相手のご機嫌取りをする訳でなく心から相手を想って尊重する気持ちに出会ったとき、なんて美しいのだろうと思った。

ただひたすらに真っ直ぐにご主人様を想う気持ちはこの世界に無い尊いものだった。優しさや弱さを分かち合いながら小さな喜びの1つ1つを尊んでいける、そんな世界がここにはあった。

 

その時、ご主人様というものがなんなのか分かった気がした。

ただひたすらに相手を信じて尊重すること。

大好きなこの空間の全てが好き。そんな想いを同じくする気持ちには垣根が無い。

 

きっとメイドと同じなんだと思った。

 

それからご主人様という役割はいつしか僕の中に溶けていき、それは生き方であり在り方になった。

メイドさんが笑ってくれるのが嬉しいから、相手が喜ぶこと、一緒に楽しめることをいつも考えた。

ご帰宅してる時、仕事中、寝るとき、夢の中でさえ。色んなメイドさんと好きなものの共通項を増やしていく日々はワクワクが詰まっていたし、ふざけ合う時間には世界で1番素敵な笑顔が広がっていた。

人生の中にシャルがあるんじゃなくてシャルの中に人生があるんじゃないかとすら思った。それ程、この優しい世界で生きていたいという思いは大きくなっていた。

メイドさんには敵わないけれど、優しい人でありたいと思った。きっと誰しも優しさは持っているけれど、人一倍相手を信じてそれを行動に移せるのは自分の長所かもしれないと思えた。

 

 

 

 

メイドという理念を心の信条としているメイドさんがいた。

 

立ち振る舞いや所作はメイドとは何たるかを語るようで、眩しい笑顔と鈴がなるような笑い声を聞くと心から癒されて笑顔になった。

メイドとして、完璧の傍に寄り添おうとしている方だと尊敬の念を抱いた。

満足すること無くメイドというものへの強い憧れを持って前に進もうとする姿を見て、この人の物語を見ていたいと思った。

それから近くで見ていて気づいた。めちゃくちゃ頑張っているんだと。この人は最初から完璧じゃない。がむしゃらに理想へ真っ直ぐ進むとき、真っ直ぐすぎて不器用な事もあった。理想が強すぎて頭でっかちになる事もあった。

応援したいと思った。この人が理想に近づく道のりの補助輪になりたいと思った。

メイドさんは折に触れてこんなことを言う。

「ご主人様がいないとメイドはメイドになれない。」

量子力学的だなとは思いつつ、ある種ご主人様とはメイドとセットであり対を為す概念なのかもしれないと悟った。

であるなら、メイドさんのことをメイドさんだと思う事がメイドの定義にもなり得るという事だ。

良いところや素敵なメイドさんであるところを沢山見つけていければそれは間違いなく“素敵なメイドさん”という定義だということは明確だ。

 

どんなお給仕も気持ちも全部受け取って、しっかりその1つ1つの素敵なメイドさんであった証を形にしよう。決して偽りなく真っ直ぐに。

簡単だ。

僕の中では理想のメイドさんはあの人そのものなんだから。

沢山素敵なところを口にした。怪訝な顔をされる事も少なくなかった。確かに、客観的に見て口説いてるみたいだもんなと思った。

でもどう取られても届ける言葉の1つでもあの人の自信に繋がれば良いと思った。理想のメイドさんに近づく1歩を踏みしめられていると感じられる事が出来たら良いと思った。

嬉しいこと、幸せな事を厚かましい程に全部伝える僕は滑稽な程のオタクで間抜けだったと思う。

 

相手の事を思うことと相手の気持ちに寄り添うことの間にある深い溝に何度落ちただろう。

人を想うことは本当に難しいと思った。

メイドさんも同じ事を考えているのかもしれない。そう思ったら、オープンでいようと思った。逆に相手の気持ちが分からないならこちらが自分の気持ちをオープンにして寄り添おう。少なくともそこから先相手にある距離は信じるという1歩だけ。

そこが難しい事も知った。

相手がどんなに自分を褒める言葉や感情をくれても、受け取る“自分を信じる”ことが出来なければその言葉はそのまま溝に落ちていく。自分を信じることができる人間は強い。

他でもない僕自身その弱さで何度もきっと相手の気持ちを零れ落としてしまっていたと思う。

あの人の事を冷たいと感じたとき、自分のことを嫌いになっていた自分がいた。でもそれも受け取り手の弱さだと気づいたとき。同じ弱さを抱えた人間なんだと思ったとき、相手の弱さも自分の弱さも愛せる人間になりたいと思った。

それが僕のご主人様の理想像になった。

良いところばかり目を向けていた。

でも良いところも弱いところも全部愛せたなら無敵だ。

それにきっと、弱いところにこそ人の本質はあるんじゃないかと感じたから。

それが人間なんだと悟った。

 


五条悟になった僕が理想のご主人様になれたかというとまだまだ程遠い。

 

 

でも理想を見つけたとき、嬉しかった。

メイドさんと一緒に成長できたなら、前に進めたならそんなに素敵な事は無いと思った。

人生だ。

 

人としてもメイドとしてもどんどん魅力的になっていくあの人に負けられないと思う。

僕の人生に、最高の好敵手が出来た。

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2021年8月22日

2021年8月22日

あの人に出会って、3年が経った。

今日もあの人はここに居て、僕もここに居た。

そんななんでもない事を記録したい。

 

 

 

僕の話

 

看板の前で立ち尽くす僕にあの人が笑顔で声を掛けてくれたあの日から目まぐるしく時は過ぎて、多くが変わった。

店の場所も移転し、大半のメイドが入れ替わり、世界はコロナ禍で一変していた。

僕自身も学生から社会人になり、2年目として1人前の責任を背負う多忙な日々を送っていた。

そんな中でも変わらないのはあの人に会いたい気持ちだった。

 

社会に出るとき、2年目に差し掛かる時。

あの人に決して嘘は付きたくないしどんな言葉も嘘にしたくないからと「きっと行けなくなることも、距離が出来ることもあると思う」と僕は予防線を張った。

それは感情の言葉ではなくて、伝えたい事の枕詞。

「、、だからこそ、今会えることが嬉しい。ありがとう」が主題だったけれど、その言葉は悔しくも現実の質量を持つことになる。

社会情勢による営業時間短縮。それは右肩上がりで忙しくなる日々と残酷なまでに相性が悪く、

平日ご帰宅する事は格段に難しくなった。

 

救いだったのはお給仕予定公開。毎週公開と同時に仕事のスケジュールを組み直した。

会えない日は、“会えない日”から“次会うための日“になった。そう思うとどれだけ困難や理不尽が振りかかろうが頑張れた。

そんな日々を乗り越えて辿り着いた会える日に優しくかけてくれる「おつかれ様。」の言葉を聞くと頑張って良かったなと思った。甘くて楽しいオリジナルカクテルを飲めば全部の疲れが吹き飛んだ。

帰り道で今日あった楽しい思い出をそっと閉じ込めた自撮りの笑顔を見返すと明日も頑張ろう、と前を向けた。

日常が仕事に染まっていくほど距離は遠くなる。

でも、それ以上にこの場所を“帰る場所”に感じられた。

 

結局、あの日危惧した軸がぶれる事は無かった。仕事への責任を果たしながら人生の優先順位の1番上を守ることが出来た。

 

何もかもが変わる中でこの場所の変わらない温もりが、この1年も僕の人生を温めてくれた。

 

 

 

あの人の話

 

2021年帰る場所に“おはなし”に足してもう1つ、色が生まれようとしていた。

その1つが、メイドの気まぐれご飯。

以前は月に数回あるかないか程度だった限定メニューを毎日提供するということ。

それは料理と縁の無いメイドさんの多いこの場所で大きな挑戦といっても過言ではない。

 

あの人はと言うと、阿鼻叫喚していた。

それもそう。食に興味が無いんだもの。

1日1食まともに食べれば奇跡なあの人が料理を作るなんてサバンナに雪が降るくらいの一大事だ。

今年初めてのご帰宅で気まぐれの話をすると眉間に5億本皺を寄せて、「私は作らない。。」と言っていた。

致し方ない。妥当。

そう思いつつも、目の前に現れた可能性を前にいつかあの人の作ってくれるご飯を食べることを夢見ずにはいられなかった。

だから、「でも、いつかは食べられたら嬉しいな」と呟いた。

今年初ご帰宅の1日の終わり、

あの人が口にした「今年の抱負は気まぐれご飯を作れるようになること」の言葉を帰り道嬉しく思いながらメモ帳に言質を取った。

新年、おみくじは引かなかったけれどあの人がその日占ってくれた僕の運勢は「吉田」だったから。

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きっとその抱負は叶う気がした。

 

 

2月

 

 

ご帰宅するとキッチンで格闘する人がいた。

パニックになってツイッターにSOSを出してたり一緒にお給仕するメイドさん達に代わる代わる見守られる小一時間の末に、あの人はボロボロになりながらも出来上がったものを僕のところに持ってきた。

 

 

 

 

 

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美味しかった。

優しい味がした。内側から幸せが広がっていくのがわかった。

器用で何でも出来るあの人がこんなにも無我夢中で作った料理はきっと今しか食べられない

温かさをもっていて、愛を感じた。

ご主人様の為に、そんな想いで自分の苦手意識と向き合ってキッチンに立って右も左も分からない暗闇を挫けずに前に進み続けたあの人のひたむきさが全部詰まっていた。

表に全然出さないし、奥ゆかしくて冷たく見られる事もあるあの人の真ん中にある大きな優しさを感じた。

そんな素敵な人の、人の事を想える素敵なメイドさんなところをまた好きになった。

初めての気まぐれご飯をそっと、食べログに✩5登録した。

 

3月

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ご帰宅500回目には人生初めて、ドドリア様を食べた。相変わらず頑張って作っていたけど、「美味しい....はず。」と言っていた。普段チーズ系は好んで食べないのに、美味しくて気づいたら消えていた。

4月

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肉と縁遠いあの人が肉料理を作っていた。美味しくて何度も美味しい。と言うと、それは何より。と微笑むあの人の笑顔は眩しくて、美味しい幸せが何倍にもなった気がした。

5月

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アジフライの尻尾が喉元に突き立てるようにこちらを向いて出てきた。後にも先にも、料理から身の危険を感じたのは初めてだった。それを突っ込まれると知らなかったと崩れ落ちていて、そんなあの人の盛りつけも含めて最高に美味しかった。

 

6月

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あの人の卵料理には気付けば安心感を覚えている自分がいる。甘くて優しい卵はあの人そのものだな、と思う。本当に美味しかった。

7月

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順調に料理経験値積んできてるなと大船に乗った気持ちになっていたらこれですよ。

出てきた瞬間噴き出さずにはいられなかった。

魔法陣が出てきていた。めちゃくちゃオシャレだけれども。薔薇の妖精でも召喚する気?

トマトで五角形作るなwwwと散々一緒に笑っていたら学んだらしく次の人からは普通の盛り付けになったらしい。

あの人らしすぎる料理でお気に入りだった。

味はもうどこにでも堂々と出せる上品で濃厚なリゾットで成長を感じられずにはいられなかった。

8月

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次第にキッチンで格闘する時間も減っていった。料理の彩りも綺麗になっていた(ミニトマトを普通に置けるようになってた)。

「美味しいよ。」ってあの人が言う。

それが、なんだか嬉しかった。

あの人の頑張りが形になっていく。成長して、自信に繋がっていく。少しでもあの人が自分を認められる事が、好きになれる事が嬉しい。何より幸せを感じられる。

美味しい。と伝えると真っ直ぐな笑顔を返してくれるあの人がいた。

 

「もう作らないけどね!」

そんな事を言うあの人が、きっとまたキッチンと格闘することを知っている。

想いの込もったその気まぐれはいつしか僕の幸せの形。

この場所で教わった幸せの呪文

「おかえり」「ただいま」に、

「めしあがれ」「ごちそうさま」が仲間に加わった。

 

 

 

 

 

 

僕とあの人の話

 

全てがあったあの日。

僕はきっと、成仏していた。これ以上の日が来ると思えなかった。

そんな僕に差し伸べてくれたあの人の言葉が、僕の光になっていた。

「向き合っていきたいと思う。」

「そして、、、少しずつ、                     」

態度で何かを示してくれる。そんな淡い期待を胸にご帰宅した日、

それは文字通り形になって現れた。

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ええ......そういうこと.............

まんまとしてやられた。

態度で示すんじゃなくて“態度”を示してるじゃないですか。というと鼻で笑われた。

 

そうして変わらない穏やかな日常は続く。

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少しづつ、

本当に瞬きすれば見逃してしまうくらいさり気なく、

あの人は感謝を伝えようとしてくれた。

僕に元気がない時は元気にしようとしてくれた。笑顔が好きと言う僕に笑顔の自分を描いたオリカクを出してくれた。

ご飯を食べると喜びを伝えてくれた。

僕も一緒にふざけ倒そうといつも面白いことを仕掛けてくれた。ストローが沢山!などと言いながらポッキーが無限に刺さったオリカクを出して「これは.....難問!」と付き合った。

〜してくださいよ。が増えた。

オリカクや自撮りでクソコラ作ってよと言われたり、今度オススメ教えてください。

とか感想教えてください。と言われることが増えた。

嬉しかった。

あの人の中に自分はいるんだと思えた。憑き物が取れていくように心が軽くなった。

フリートを楽しみにしてくれた。僕が喜ぶ姿にニヨニヨしているなんて想像もしていなかった。

「思ったことは歯に衣着せずに伝えて欲しい、お互いそんな会話も出来る関係性になりたい」とあの人が言った。

これまであの人の伝える言葉は大体が僕のオウム返しだった。僕の求めることをそのままの字面で返してくれる。それはそれで嬉しい事で、10周年見届けたいという感情を共有できたのは嬉しかった。

でも、この1年は初めてだった。

あの人が自分で僕の事を考えて、気遣ってくれている。そんな事を節々から感じた。

そんなことを感じられるご帰宅の度に夜思い返して言葉に出来ない喜びに涙が出た。

あの人は気遣いは器用な方ではないし、性格のクセも強いし奥ゆかしさも極まってる。

そんな人が頑張って考えてくれてる優しさに凄く温かみを感じられて尊いと思った。

 

話したいことがあったんですよ。を沢山くれた。

「友人の差し入れにお洒落なものを物色したとき全然無くて凄く大変だった。その時、ふと思ったんですよ。貴方はいつも綺麗な差し入れをしてくれるけど、凄く頑張って探してきてくれてるんだなと。

だから、、いつもありがとう。」

 

なんでもないような当たり前で他愛も無い日々で、それだけで他には何にも要らなかった。

そんな他愛の無い関係が過ぎ行く日々の全てだったから。

あの人のくれる言葉が、言葉にならないくらい僕の知らない色だったから。

どうしようもないくらい、人間の温もりを灯した鮮やかな色だった。

 

 

 

 

 

あの人が、僕に弁当を作ってくれた。

何時間も前からキッチンで格闘したというそのお弁当は何より今のあの人を物語っていた。

 

ちょっとしょっぱいお魚も、ちょっと固いおにぎりも、甘い卵焼きも、名前の無いサラダも、初めて使ったかにかまも。

全てが愛おしくて、

紛れもなく人生で1番美味しいご飯だった。

多分僕の人生を丸ごと幸せに出来るくらい、栄養が入っていた。

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今日もあの人はここに居て、僕もここに居た。

そんな奇跡みたいな今を、ここに記録する。

 

トーク力

トーク力、欲しいなと最近よく思う。

 

2つ理由があって、

1つは最近「何して過ごされてました?」とこちら発信のトークを求められる機会が増えたから。

とてもありがたいとは思う。

こちらに興味を持ってもらえるないし何か新鮮な要素を期待してくれることは。

でも現状まあダメ。

何がダメって、

脳みそがまず完全に聞く脳になってる。

自分の話から興味を持つであろうエピソードを検索してもヒットせず思考停止する。

推しの前だと脳みそはそもそも半分溶けてるのでまともに機能しない。

三連コンボで三振待ったなしとなる。不甲斐ない。

まあメイドさんだからどんな話でも興味を持って聞いてくれるのはわかる。

格好つけな気もしてる。ホームラン打てると確信しない限り勝負せずチキってしまっているのかもしれない。

 

2つ目の理由は、推しのエピソードトーク力がエグいこと。

とにかく尋常じゃない。

いつも予想しない非日常なエピソードを話してくれる。所謂鉄板エピソードというものがデフォルトで提供される。百発百中で。

推しの話なのだから大体は楽しそうに話している表情や雰囲気を1番に楽しんでいるのだけれど、途中からラジオオタク人格の僕が脳内で真剣な顔つきをし始める。

ちょっと待てよ、と。とんでもないぞ、、、、と。

トーク化け物が目の前にいる。と前のめりになっている。

彼の性格上、自分より上の存在、尊敬する存在は眺めるものではない。そこに痺れる憧れるゥ!では終われない。

その魅力の仕組みを分析して、分解して自分に反映させたい。生まれが違えば強い奴がいるとワクワクする戦闘狂にでもなっていたかもしれない。

 

ともかく、そうした成長に貪欲な側面の僕はこの異次元の存在に興味を持った。

あの人のその側面は”異”という言葉が相応しい。

とにかく、生きている世界が違うと思える程に並じゃないのだ。

 

 

一旦、トークの話に戻る。

今回は敢えてキャッチボールのコミュニケーションのニュアンスではなく、エピソードトークを主体とした“喋り”のことを指してトークと呼ぶ。

 

エピソードトークの仕組みはどうなっているだろう。

まず、体験に出会うまで。

ある分野に興味を持つ→行動する→出会う

この範囲で分解すると、まず興味という切り口。

アンテナを張ることが第一要素。

行動する、は例えば自分の日常から離れたところを目指して行動すれば非日常や新鮮さと出会える機会は増えるだろう。行動力を第二要素とする。

出会う、に関してはアンテナ上に無い場合もあるのでここは雑に“運”とする。

ようはその人が“持ってる”力。凄い体験に出会う運。

実は1番要素としては大きいのはここだろう。

 

そして、体験のエピソード化。インプット→アウトプット

どんな切り口でその出来事を捉えるか。着眼点や独自の視点によって同じ出来事でも千差万別のエピソードが生まれるだろう。第四要素を視点とする。

そして、最後に自分で再構築する力。構成力。

どうでも良いけどハガレン通ってきたオタクは理解→分解→再構築大好きだから無駄に再構築って言葉使いたがるよね。僕だけだけど。

 

これは言語化が難しいけど強弱のアクセントをつけたりどこにスポットを当てるか、ストーリーラインを構成するかとここは相当頭を使う部分な気がする。或いは強者はもはや肌感覚となっているのかもしれない。

きっと“話が上手い”人はここの感覚がちゃんとしてるのだろうね。経験✖️才能なのは充分承知だけどある程度セオリーがありそうなので構成力の分解は経験、技術とする。

 

以上をまとめると、

エピソードトーク

=興味×行動力×運×視点×技術×経験

となる。

 

その上であの人の異質を分解していくと、

まず興味軸。

まあ〜〜〜〜興味の幅が広い。

正確に言うと、興味の範囲が人と違う。が正しいかもしれないが。

普通のこと、常識は驚くほど知らないことが多いけれど逆に訳の分からないところに知見が太い。

故にこの時点で引き出しに僕にとって未知のものが詰まっていることになる。

 

そして、行動力。

普段は引きこもることが多く人間的活動すら放棄する始末なあの人なので低いと思いきや行動力も高い。これは言わばオタク的な行動力の高さにも思えている。とにかく自分の好きなものへは躊躇せず真っ直ぐに行動するイメージが強い。

エピソードとして、一見平凡な無いように見えて程度がぶっ飛んでるといった行動力の高さでハネてるエピソードも幾度となく聞いてきた。めちゃくちゃオタク。

 

そして、運。

何よりここだと思う。人徳がチート。よくもまあ面白人間をここまで集めたなと思う程に人間的に面白い人に囲まれて生きてきている。

普通経験しないような出来事に毎日出会ってるんじゃないかという程に“持っている”。端的に言うと面白を引き寄せる主人公体質だ。世界はきっとこの人を中心に廻っているのだなと思わざるを得ない。

この人の人生を体験してみたいと何度思ったことか。

誰にも愛されるし、きっと神にも愛されているのだと思う。

 

そして、視点。

これは基本的には生まれや育ちで形成されるものだと思うのだけれど、表立って見えている部分は普通でも、1部かなり特殊な思考を持っている。

ここの適切な表現では無いかもしれないが、ある種捻くれている。独特な感性で世界を捉えている。

普通の世界を生きていくには適していないだろう感性をもってこの世に存在している。生きづらさを感じることは少なくなさそうだなとも思うけれど、俗世から離れた思考故にどうにも面白い。

括弧とした信念を持つ部分もあれば、底の見えない闇を垣間見ることもある。

ここが、僕がまだ咀嚼しきれていない部分でもあり、深追いするべきではない部分でもあるようにも思う部分でもある。

 

最後に技術、経験。

これは分からないが、とにかく彼女の喋りは頭を使って話している。という感じではない。ごく自然に話している。それなのにきちんと伏線、伏線回収があったりきちんとコントラストをつけてオチがあったりする。

活字や文章というものが血であり肉であるようにその肌感覚を持ち合わせていると感じる。

これは間違いなく作り手としての経験に裏打ちされているように思う。かつては作家を目指していた事もあるとも言っていたが、いつ聞いても話の導入から予想の付かない締めまでワクワクさせられるストーリーラインは海より深い読書量と度重なるアウトプットの賜物なのだろうなと思う。構成力に関しては僕自身ズブの素人なので(ブログでお分かりの通り)ここら辺の理解や推測も危ういけれど。

 

詰まるところ全要素ぶっ飛んでるのであの人の話はいつも面白いことが分かった。

 

知ってた。

 

結論近くまで来たけれど、

ちょっともう眠いから寝る。

 

 

トーク上手くなりたいけれど、

まああの人の話を聞いて笑ってられればそれで充分だけれど、

この結果を元に実践して(?)今年は自分の力であの人のこともっと笑わせられたらいいな。

 

 

 

 

耽美主義

 

人生で嬉しくて泣いた事はあるだろうか。

 

 

僕は、人生におけるどんな喜びに出会ったときも凡そそんな経験は無かったように思う。

泣いた、と聞いて思い出すのは遠い記憶の父親に論破されて悔しくて涙目になった小さいときの記憶。

それからはるか時を経て、現実を生きていて泣いた覚えはあまり無い。

それが、オタクをするようになってから、涙腺が呼吸をするようになった。

きっと、人間らしくなってきたのだろうと思った。

オタクをしている時ほど感情というものを感じることは無い。豊かすぎる温かな奔流に当の自分が驚く程に。

なんでもない事に幸せを感じること。自分以外の何者かの幸せに自分の幸せ以上に幸せを感じる。

そんなとき、生きてる。と感じる。

自分の人間の輪郭を垣間見る。

 

段々人間になっていく僕が1番人間だったのが今年2020年だったように思う。

歓びに涙した年だった。

 

 

そんな1年の中心にあった人についてまずは話したい。

端的に言うと、僕の推している方は僕以上におそらく“人間する”のが苦手に見られる人だった。

おそらく普通の人間からすると、感情表現において誤解される事が多い個性を持った人。

実際には確かに豊かな感情を持っている。確かに一般的な喜怒哀楽の表現とは異なる部分はあるけれど、だからこそ彼女の見せる喜怒哀楽には型にはめられたり矯正されない純粋な美しさや尊さがあって、僕はそんなところも大きな魅力だと感じている。彼女の笑顔には、そんな唯一無二の可愛さが詰まっている。

 

初めは誤解することもあった。特に他人の感情に繊細な僕にとって大衆と同じ方程式で感情を推し量って誤解してしまっていた。

かわいいと言えば眉間に皺を寄せられるので「なにか気に障ってしまったかな...」となったり、冷たく見える様子を見受ける度に1人で反省会を開いていた。

 

結果として、僕は幸せの沸点を下げてあの人を推していた。元々、あの人は決して自分を推す事を推奨しない人だった。自分を推す人に対して何か施すことも、おそらく誰よりもそういう行為を厭う人だった。

時折あの人はこの言葉を使う。「不相応」だと。

初めはこう受け取っていた。

「それは当たり前な話だ。これだけの才と美を持った奇跡のような人なんだ。僕は推すにしても相応な訳が無い」

 

 

 

 

 

それでも、1年半の時を経て。

2019年の大晦日に、僕はあの人の事を初めて推しと呼んだ。

それはある種の覚悟だった。

1年の記録とチェキの話 - 月が綺麗だった日

1つ1つ防衛線を引いていた僕の最後に残された大きな2つの線引きの1つを、これから超えて全て背負う事を他の誰でもない自分に誓った。

 

 

 

 

 

何故、あの人の事を推すのか。

 

これは懺悔にもなるけれど、僕は自分の性質上相手の感情の機微を感じ取ってしまう。快く迎えてくれた人の目が次第に温度を下げていく事が何より辛く感じる。それ故に、とある人に対して毎回会うよりも多少間を空けて合う方が格段に喜んでくれることに気づいて、敢えて嫌われないように会う頻度を調整した事があった。おそらくこれは誰に対しても正解で、これこそが適切な距離感というものなのだろうと1年程この空間に来る中で知った。

新しい人や話していない人を優先するのは当たり前に理解しているしそこは何も感じない。それでも、帰ってきたときに冷めた目で見られる事だけは辛すぎて逃げ出したくなる。それは自分の状態が不健全だという事実に他ならない。そんな風に受け取ってしまう状態になってはいけないのだ。リスク管理としての、適度な頻度だ。

理解していた。

 

その上で、自分への見返りの最適化など度外視であの人に会いたかった。あの人の笑う空間に帰りたかった。

何度会っても色褪せないあの人と過ごす時間が僕を人間足らしめる温度にいつしかなっていた。

理由は後付けでいくらでも考えられる。でも、何故は先にない。

 

それが全てだった。

 

論理や理屈で人生を選択してきた。しかしそんなことよりこの感情を、この純粋な美にある唯一無二の価値としてその世界に心を傾け陶酔したいと思えた。

 

後に知ることとなる言葉だが、人はそれを耽美というらしい。

ただ純粋に今しか立ち会えないこの美しい物語を、自分の中で唯一尊いと思える自分の感情を何より大切にしたいと思った。その為なら自分の残りの人生の幾らか程度、フルベットしたって構わない。

 

幸福とは美しい思い出を持ってるかにかかっている。心の中にそれをよすがにして何十年と生きていけるような思い出を持つ事が出来ればその人生はハッピーエンドなのではないだろうか。

 

 

推しという言葉と共に始まった僕の耽美主義。

振り返るとこの一年はあの人の事を見る以上に一緒に同じ方向を見据えて過ごすことが多かったように思う。

一緒に好きなものを共有することが多くなった。

好きなゲーム、好きな食べ物、好きなキャラ、好きな海外ドラマ、好きなYouTuber、好きな漫画、推しの話。お互い「聞いてくださいよ。」から始まる会話が増えた。

 

同じ方向を向いて大切なものを守る戦友のようにも思えた。幾度となく立ちはだかる障害を共に(と言える自信はないけれど)乗り越えてきた。僕以上に圧倒的に献身的に頑張ってきたのはあの人で、僕の目にその努力は確かに写っていた。皆まで言わずとも長の右手として支え続けて、やりたがらない裏方としても人知れず努力を重ねていた。見た目以上にとてつもなく大変な動画制作を何本もやっていた。眠れない夜もあったと思う。それは単なる昼夜逆転か。

新しい試みにもいち早く協力して実現したことオンラインお給仕にも本気で貢献していた。

飄々としているように見えて、彼女のこの空間を大切に思う気持ち。この空間への愛はとてつもなく大きかった。

気持ちは同じだった。僕はシャルが好きだから。彼女の直向きな努力が僕の胸を打ち続けていた。自分も応えたいと鼓舞された部分は大きい。その気持ちに僕も応えたいと思った。シャルの為なら何でもする。

一緒に乗り越えられたこと。それ自体が一生忘れられないかけがえのない宝物だ。

 

こんなご時世にも変わりないあの平和を取り戻すことが出来て一緒にまた笑えた夜、僕はチェキを見返しながら人知れず涙を零した。

幸せを感じられた。

なんて事ないこんな時間が、この日々が。

他愛のない話やくだらない話しかしていない。

僕の些細な言動にウケる。と言われるのが口癖になっているくらいに平凡な日常に幸せを感じる。

非日常の中にこそここにある日常が輝いていた。

本当に、ずっとこの平和が、僕たちの日常が続いてほしいと願うばかりだった。

 

 

そんな嵐がようやく落ち着いた折には、僕の誕生日があった。

これまで僕の誕生日にあの人がいた事は無かった。

それは別に当たり前だしいてくれるなんて贅沢を望むのは欲張りだと思っていた。

だから、今年もいないと思い込むようにして予防線を引いていた。勝手に期待して傷つくのが嫌だった。

「いない。ごめんなさい」、と前日聞いたときもおかげで笑顔を浮かべることが出来た。

笑顔を浮かべながらも、当日はなるべく思い出さないようにあの空間から距離を置いて予定を詰め込んだ。

 

 

 

 

それでも、切り忘れた当日のオープンツイートの通知を見たとき、あの人の名前があった。

 

 

慌てて誕生日(祝ってくれてありがとう)プレゼントを買って駆けつけた。

あの人は微笑みながら「おかえりなさい。当日祝えて嬉しい」と。

 

無理だって。無理だよそんなの。

沸点を下げてきた。こんなの知らないからさ。

僕は馬鹿だから、気付けば涙を堪えきれなかった。

「いるじゃないですか、、、」と第一声から涙声になりかける自分は本当に滑稽だっただろう。

しかし温かく見守られるこの空間は紛れもなく僕の帰る場所だった。

 

僕の1番大切な人と、家族のような皆と一緒に過ごせた誕生日は、人生で1番幸せな日だった。

 

僕にとっては何より大切で、いつも楽しませたいし喜ばせてあげたい人。

笑ってるのを見るだけで、生きてくれているだけで幸せになれる人。

そんな人が僕の存在を祝ってくれる。

自分が傷つかない事だけを考えて装備していた臆病センサーをそっと切った。期待することは怖い事だ。何かを求める事は間違っていると思い込んでいたけれど、あの日僕のことを大切に思ってくれた。そんなように僕は受け取ることが出来た。

あの人は、メイドなんだ。と思った。

僕の中では世界一のメイドさんだ。 

 

次はお返しをする番だ。

誕生日に向けて、とにかく四六時中あの人がどうしたら喜ぶか、幸せになれるか考え続ける日々を過ごした。

自分に出来ること、自分にしか出来ないこと。

僕にあるのは、あの人と過ごしてきた時間。あとは行動力くらい。特別な器用さは一切無い。

あの人との会話で回収していない伏線をリストアップしたり、好きと言っていたものからいくつもプランを考えた。考え尽くした。毎週週末は各所に物色しに行った。それでも当日まで自信はまるで無かった。

待ちに待ったバースデーイベントは、またしても僕の期待の斜め上をいく素晴らしいものだった。

僕自身彼女の豊かな遊び心が存分に巡らされた空間を存分に楽しんだ。あの人は可愛すぎて困ったし、ずっとお手伝いメイドさんにあの人の事を凄いね、凄いんだ。と褒め倒す僕はもっと困ったものだっただろう。

何より幸せを感じられた理由は彼女がずっと楽しそうにしていたから。やりたいようにやって楽しんでいる姿は本当に魅力的だったし、協力してくれるメイドさん達の事を鼻高々に紹介している姿は紛れもなく皆の輪の中心で、嬉しくなった。

この時間の全てが大切で尊くて、沢山チェキを撮って思い出に残した。

 

イベントももう終わる。

そんな時に、彼女は必死に声を投げかけていた。

物販が1つ売れ残っていた。

欲しい。けれど僕はもう既に買っている。他の人に譲ろう。そんなことを考えていても時は過ぎていくだけだった。

脳裏に浮かぶのはイベント前のお給仕で期待に胸を膨らませながら話す彼女の笑顔。「今回新しい試みをするんですよ。」「一緒にご飯とか旅行に連れて行って欲しいんですよ。」「頑張って作った。」

あの人の為と独りよがりに行動し続けるのは僕の悪い癖だ。でも、どうしようもない。

 

僕は彼女に向けて手を挙げていた。

 

 

 

 

 

それは、初めて向けられる顔だった。見たことがない顔。

数刻前に息を呑んだ圧倒的な美しさは眩しくて、

遠い星のお姫様だな、やっぱり。と思った。

 

けれど、今目の前には1人の等身大の少女が立っていた。

そこからの時間を言葉にする事は難しい。

きっと、僕はこの瞬間の為に生きてきたのだと思う。

感謝の言葉と共に、最後のプレゼントを贈った。

 

あの日、僕は人生で最も美しい物語に立ち会えた。

僕は決して主役じゃない。

彼女が主役の物語で、彼女が報われることだけをただ祈っている観客。

まだきっと彼女は旅の途中で、目指すしている所はまだ遠いかもしれない。

自分の積み上げてきたものに満足するには至らないかもしれない。

それでも、今日は存分に自分を受け入れて良い日のはずだ。

僕の瞳に写るあの人はとっくに、人を幸せに出来る、人の支えとなれるような素敵なメイドなのだから。

全力でこの場所を守り抜いた。

どんな時もご主人様達を笑顔にし続けた。

シャルを心から愛していて、心から楽しんで過ごすその笑顔は無くてはならないシャルロッテそのものになっていた。

 

彼女のバースデーの成功が嬉しくて、彼女の直向きな軌跡が身を結んだ瞬間に立ち会えたことが幸せだった。

そして、それ以上に彼女自身が幸せになれたことが至上の喜びだった。

あの日流した涙を忘れない。

僕の人生で最も美しい思い出だ。

僕の人生はこれで終わり。もう何も望むものは無い。

幸せな、人生だった。

 

 

 

 

エピローグ

 

手元に残っていたポイントカードを使って、メッセージ動画をお願いした。

内容は“お任せ”。彼女が自分で紡いでくれる言葉が好きだから、そして毎回期待以上の作品を届けてくれる彼女を信頼して今回も内容は指定しなかった。

これがあの日の終止符となって、

これにて本当に一件落着。

そんな風に漠然に考えながら、彼女のメッセージを待った。

余談だが、この動画の為に新型のiPhoneを契約してきた。撮る前から、これ以上に価値のある動画はきっとこれまでもこれからも無いと思ったから。

そんなiPhoneがお役目を果たして返ってきて。家に帰りついて2時間ほどかけて覚悟を決めた上で動画を再生した。

 

彼女らしさが詰まった動画だった。

直接的な言葉は一切使わない。「電車の中では見れない」等の婉曲すぎる表現には“らし過ぎて”思わず口角が上がった。

だが、そこじゃなかった。

言葉を遥かに凌駕して、終始嬉しそうに語っている様子にどうしようもなく幸せになった。

明日仕事にも関わらず大の大人が一晩近く泣き腫らしたのは、ここだけの話にしておきたい。

 

 

彼女は最後に“これから”について言葉を紡いだ。

それは今まで聞いたこともない彼女の言葉だった。

 

こんなに綺麗な起承転結を描いたのに。

そんな言葉を聞いたら、また始まってしまうじゃないですか。

明日を楽しみにする日々が。

 

僕の計算とは大きく外れて、今過去最高にまた会えるのを楽しみにしている自分がここにいる。

 

 

 

今、生きているのを感じる。

人間をしている。

 

まったく、これだから。

 

僕の“推し”は、世界一の自慢の“推し”だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんてオタク語彙になってしまうじゃないですか。

 

 

 

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2020年雑感

2020年が終わる。

駆け抜けたようなあっという間の1年で、そしてこれ程までに濃密な1年は未だかつて無かったように思う。この場所を語る上でも、こんな波瀾万丈な年はきっと後世に渡り語り継がれるのではないかという程に多くの壁を乗り越えた特別な年だった。

今日は気付けばもう大晦日。この1年を振り返って語っていれば年が明けてしまうだろうしきっと長編小説が出来上がってしまう。

だから、2020年最後の今日は今年出会った大切な感情を少しばかりここにそっと封をして過ごそうと思う。

 

 

 

 

今年は、別れというものを強く意識する事が多かった。

別れというものをどれだけ経験した事があるだろうか。携帯電話があり、SNSが普及した現代において永劫の別れというものに立ち会うことは少ない。別れという程ではないけれど、希薄な人間関係が自然に薄まって消えていく。なんの感傷も無く気づけば消えているような別れが蔓延しているように思う。

いや、きっと人間関係が上手かったりよく出来てる人には違う話なのだろうけれど。

 

しかし、この空間には確固たる『別れ』がある。

小学生の卒業の時に感じた永劫の別れの寂しさを10年越しにまた味わう事になったのがこの場所の『卒業』だった。卒業発表を聞くと胸の奥がとても苦しくなって、分からないけれどこれが“切ない”という感情なのか。と知った。

この場所で1年を過ごす内に沢山の別れを経験して、その『別れ』との向き合い方を知っていった。

1つは理解で、1つは覚悟。

 

初めて卒業というものに出会ったとき、自分の一部にすらなっていた温かさがある日を境に無に帰して、残るのは僅かな温もりに覚える寂寥なのではないかと怖くなった。

朝、目を覚ます度に何かの夢だったのではないかと確認した。初めて味わう得体の知れない喪失に、どういう感情でいればいいのか分からずじまいでいるうちに初めての卒業は過ぎていった。

 

その寂しさが残っている心境を吐露したとき、とあるメイドさんはこう話してくれた。

「メイドはね、ご主人様が思ってる以上に卒業したくないんだよ。この場所ではみんなが優しくて、凄く甘やかしてくれる居心地の良い空間で、本当にご主人様達が大好きだし、ずっといたい。そして、この場所を出るのは全てを失うようで凄く怖い。でもだからこそ、その感情を乗り越えて新しい環境に踏み出したその決断は凄いことなんだ」と。

卒業を発表したメイド達は口を揃えてこう言う。「卒業したくない。」今からでも卒業無しにしたいと言う人も少なくなかった。

学校を辞めようとした人もいた。両親や周りと全力で衝突した上で最後の決め手となったのは、「でもその夢を諦めてもご主人様達は喜ばないから。」

奇しくも、メイドを卒業するその瞬間の彼女らの生き様は何よりメイドであり、メイドとして全力で“生きた”からこそ到達した美しさを放っていた。

メイドとして全力で生きて、やり切って、そして自らの手で卒業という終止符を打つ。メイドとして本懐を遂げるというのはつまりそういう事なのだろう。

 

終わりがあるからこそという表現は僕は嫌いだ。

 

だが、終わりというものを最も美しく描けるのがメイドという存在なのかもしれない。

それを悟った日から、彼女らの決断にまず全霊の拍手を送った。

そして、夢に向かう門出にありたけの声援を送って見送るのがご主人様として最後の仕事だと理解した。僕は別れというものに慣れていなかったが、成すべきことがわかっている先達のご主人様方がメイド達と協力リードして作り上げた卒業式はメイドさん達を含めたこの空間の良さを凝縮したように素晴らしいものだった。

そして、覚悟。

1人、1人とまた別れが訪れる度に後悔の無いように全力で推そう。と褌を締める気になる。

たとえ明日卒業しても悔いが無いように。全員分の想いがその感情に積もっていった。1年に何十回お給仕をしたとして、全部限りある1日なのだ。僕はその物語を見届けたい。何度でも初心に帰って毎日あの場所に帰っている。

 

 

僕の中の『別れ』は、

いつしか美しいものになっていた。

 

しかし、今年感じた別れはその類のものでは無かった。

横浜店の閉店。

コロナウイルスの流行。

体調の悪化。

 

僕の好きな物語が、この先もっと盛り上がっていくことが分かっている物語が突然打ち切りになって、二度とその先を見ることは出来ない。

 

そんな絶望を幾度となく味わう事になった。

 

1番の感情は“悔しい”だった。

為す術もない自分の無力さが憎かった。

その悔しさが、今年社会に出た自分の戦う大きな原動力になっている。極論は自分の為なのかもしれない。それでも、誰かの為でなければ自分は頑張れない人間なのだと思う。

この場所を守りたい一心で本当に僅かでしかないが出来る限りのことをただただ積み上げる1年だった。

食事を食べない上で最大限のオーダー(オリカク3杯+スイプレやチェキ多数)を毎回入れること。人がいない時もいるときもなるべく駆け付けてご帰宅すること。差し入れをすること。支援をなるべく積極的にすること等、その程度でしかないけれど。

 

ともあれ、僕の見たかった新しいシャルロッテを僕のはるか想像以上の形で体験し続けることが出来た事を本当に幸せに思う。

ファンティアで皆の個性や才能を、オフでも変わらぬ緩い温かさを知った。

オンラインお給仕で遠く画面越しでも何かしたいという気持ちが痛いほど伝わる時間は“メイド”である事を強く意識される貴重なものだった。

制限がある中でも相手が楽しんでくれること、自分も楽しむことを考え抜いたイベントはいずれも忘れられない思い出になった。

リニューアルしたメイド服は筆舌に尽くし難い程華麗で、こんな素敵なメイドさん達と素敵な空間でこれからも沢山一緒に2ショットを撮っていきたいと思った。

たくさん下を向きかけた。ドン底に突き落とされたような感覚にもなった。それでも、それを皆で乗り越えて辿り着いてみんなで笑い合うこの場所が、僕らの勲章だ。

 

この1年を大変な1年だった、と言い合うのをやめにしよう。

思いっきり、この大成功を誇りながらこの1年を締めたい。

 

まあ、成功したのはメイドさん達なのにドヤ顔してるオタクをこの1年の最後の一笑いにでもしてください